ACLの歴史からみるアル・ヒラルと浦和の因縁/六川亨の日本サッカーの歩み

2023.05.03 08:30 Wed
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Getty Images
4月29日のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)決勝第1戦で、アル・ヒラル(サウジアラビア)と対戦した浦和はFW興梠慎三の同点ゴールで貴重な勝点1とアウェイゴールを手にした。1点のリードを許した浦和だったが、後半8分、MF大久保智明のスルーパスは相手DFに阻止されたものの、ボールはアル・ヒラルのゴールへと向かい、飛び出したGKと入れ替わるような格好で左ポストに当たる。これを諦めずに詰めていた興梠が冷静に押し込んで同点とした。

これで浦和は5月6日のホーム・ゲームで、勝てばもちろん0-0のドローでもアウェイゴールの差で3度目の優勝が決まる。優勝3回はもちろん日本のクラブにとって最多だし、歴代記録でもアル・ヒラルの4回に次ぐ2位の成績だ(韓国の浦項スティーラースも優勝3回)。

このACL、UEFAチャンピオンズリーグから遅れること11年、1967年にスタートし、当時は「アジアクラブ選手権」と言われていた。初代王者はイスラエルのハポエル・テル・アビブで、第2回大会はマッカビ・テル・アビブとイスラエル勢の強さが目立った。当時のJSL勢は、遠征費用がかかるのと、日程が重なることなどから日本リーグで優勝しても参加を見送ることが多かった。
しかし1986年、西ドイツから奥寺康彦が帰国し、日本でも圧倒的な強さで優勝した古河電工(現ジェフ千葉)が、天皇杯の参加を辞退して出場し、見事初優勝を果たした。さらに翌年は読売クラブ(現東京V)が連覇を達成する。読売クラブは不戦勝での優勝だったが、86年と87年に準優勝だったのはいずれもアル・ヒラルだった。89-90シーズンは日産自動車(現横浜FM)が決勝まで勝ち上がったものの、中国の遼寧東葯にホーム・アンド・アウェーは1分け1敗で初優勝を逃した。しかし98-99シーズン、全盛期を誇っていた磐田がテヘランのアザディ・スタジアムに乗り込み、エステグラルを2-1で下して日本勢3チーム目の優勝を果たした。

そして当時は「アジアクラブ選手権」と並行して、もう1つの大会が開催されていた。各国のカップ戦王者が集う「アジアカップウィナーズカップ」である。こちらも欧州カップウィナーズカップをマネして創設された大会であることは言うまでもない。さらに欧州にはリーグ戦の2位以下のチームが集うUEFAカップ(現EL)もあったが、残念ながらアジアには2つのカップ戦しかなかった。

この「アジアカップウィナーズカップ」で91-92シーズンに日産自動車が、翌92-93シーズンは横浜マリノスが連覇を達成。さらに94-95シーズンは横浜フリューゲルス、95年はベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)、99-00年は清水エスパルスと日本の4チームが優勝5回を達成している。これはアル・ヒラルらサウジアラビア勢5チームによる優勝6回に次ぐ成績だ(96-97シーズンの名古屋は決勝でアル・ヒラルに1-3で敗れて準優勝)。

こうした2つの大会が統合されてACLとリニューアルされたのが02-03シーズンのこと。Jリーグ勢は07年と17年に浦和が、08年にG大阪が、そして18年に鹿島がアジアの頂点に立った。しかし19年の浦和はアル・ヒラルにホーム、アウェーとも0-1、0-2で完敗。アル・ヒラルはこれがACL初優勝で(14年と17年は準優勝)、昨シーズンも2度目の優勝を飾っている。

アジアクラブ選手権を含めると、アル・ヒラルの優勝4回、準優勝4回は群を抜いている。そんな強豪相手に、17年の浦和は敵地で1-1と引分け、ホームで1-0の勝利を収めて2度目の優勝を遂げている。果たしてその再現から3度目のアジア王者に就任できるのか。6日の埼玉スタジアムはファン・サポーターの熱気に包まれることは間違いないだろう。


【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた

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J30周年記念ベストイレブンを一足先に予想/六川亨の日本サッカーの歩み

Jリーグは今年で30周年という節目の年を迎える。そこで、これまでの30年を回顧する「J30ベストアウォーズ」を開催することを発表。30年の歴史の中から「MVP」、「ベストイレブン」、「ベストマッチ」、「部門別ベストゴール」、「ベストシーン」などをファン・サポーターの投票をもとに決める。すでに投票は4月21日に締め切られ、結果発表は5月15日(月)のJリーグの日を予定している。 そこで今週は、一足早く「ベストイレブン」を個人的に予想してみた。規定によるとGK1名、DF3名、MF3名、FW1名の8名で、その他として3名に、外国籍選手は5名までとなっている。 参考までに10年前の2013年の20周年記念では、次の11名が歴代ベストイレブンに選出されている。GK川口能活、DF松田直樹、中澤佑二、井原正巳、MF遠藤保仁、中田英寿、中村俊輔、名波浩、FW三浦知良、中山雅史、ドラガン・ストイコビッチである。まあ順当な結果と言っていいだろう。 さて30周年である。GKは631試合出場と歴代2位の記録を持つ楢﨑正剛(横浜F、名古屋)にした。川口とは代表でもライバル関係だったが、出場試合数の多さで楢﨑を選出した。空中戦に強く、冷静沈着なGKだった。 DFは3BKということで、強さと高さを基準に選んだ。中澤(横浜FM)はJ1通算593試合出場(歴代3位)という“鉄人”でもある。彼とコンビを組むのはベストイレブン選出9回の田中マルクス闘莉王(浦和など)だ。この2人なら、敵の攻撃を跳ね返す強さがある。そしてもう1人は、危機察知が高くカバーリングに優れている井原(横浜Mなど)を選出した。この3人なら、守備はもちろんセットプレーでも得点力を期待できるだろう。 MFは3人という狭き門である。やはりJ1リーグ672試合出場でベストイレブンにも12回選出されている遠藤(G大阪など)は外せない。そして中村は中村でも憲剛を推薦したい。川崎F一筋でチームを牽引し、数々のタイトルをもたらした。ベストイレブンにも11回選出されている。最後の1人は悩んだ。ベストイレブン選出6回で、通算525試合出場(歴代7位)の小笠原満男(鹿島)か、ベストイレブン選出4回ながら通算590試合出場(歴代4位)の阿部勇樹(浦和など)にするか。2人ともチームにタイトルをもたらしたし、守備的なポジションでもプレーできる。そこで“高さ”という武器のある阿部を選択した。 FWは1名ということで選択肢は限られるが、歴代最多191ゴールの大久保嘉人(川崎Fなど)を選出した。そして「その他3名枠」でFWとして、いまなお現役のレジェンド三浦知良(V川崎など)、選手として天皇杯、監督としてJ1リーグのタイトルをもたらしたピクシーことストイコビッチを推薦したい。左FWにカズ、右FWにピクシーが入り、中央に大久保という布陣で、中盤には中村憲剛や遠藤というパサーもいるだけに、攻撃力はかなり高いのではないだろうか。 その他3名枠がもう1枠あるが、小笠原でもいいし、中山雅史(磐田など)やジーコ(鹿島)でも、それぞれが好みの選手を選べばいいだろう。今年の柏戦で17年連続J1ゴールを記録して小笠原と並んだ興梠慎三(浦和など)は現在165ゴールで歴代2位の記録を更新中だ。あと26ゴールで大久保と並ぶが、彼も「記録に残る選手」になることは間違いないだろう。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.04.24 17:00 Mon
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レフェリーブリーフィングから問題提起/六川亨の日本サッカーの歩み

先週末のJリーグは、鹿島がホームで神戸に1-5と大敗したり、豪雨の試合で山口が清水に0-6と惨敗したりするなどショッキングな結果が多かった。それでも最近は話題になった“誤審"はなかったようで、一安心した次第である。 そして今週は、ちょっと遅くなったが3月22日に開催された「レフェリーブリーフィング」の内容をお届けしたい。 まずはVARだが、導入して3年目の今年のJ1リーグでは、第1節から第4節までの36試合でVARは計216回ほど介入した。平均すると2.57試合に1回となり、これは21年の4.87試合、22年の4.73試合に比べてかなり減少している。 その一方で、1試合平均でVARが要した時間は96.6秒と、これは21年の60.7秒、22年の59.1秒と比べても増加している。その理由は、今シーズンからオフサイドラインの判定に3Dが採用されたため、30秒ほど判定までに所要時間がかかっているそうだ。 ジャッジに正確を期すためには仕方がないと思うものの、せめてVARの判定中は、「どのプレーが、どんな判定の審議中なのか」を場内アナウンスするなり、映像でリプレーするなどのファンサービスを、Jリーグや各クラブは前向きに検討して欲しいものだ。(編集部注:今季から放送画面やスタジアムのビジョンでは確認の事象のみ表示される) そして今シーズンのジャッジのスタンダードとしては、次の3点が報告された。まず「頭部の負傷対応」として、「基本はプレーを止める」ことである。すでに脳しんとうは、選手交代をしても5名の交代枠に含めないことになっているが、さらに選手の安全確保のためにアドバンテージのルールの柔軟な適応を求めたと言える。 次に「選手の安全を守るチャレンジ」と「オフサイド・ディレクション」が今シーズンは徹底される。後者に関してはルール解釈の変更で、例えばタテパスに対して守備側の選手が意図的ではないプレーでボールに関与し、コースが変って攻撃側の選手へのパスになったとしよう。これはオンサイドとしてプレー続行ではなく、オフサイドと判定することが確認された。 難しいのは前者の「安全を守るチャレンジ」だ。Jリーグはもちろんのこと、著者が楽しんでいるシニアリーグでも、「ボールにアタック(タックル)したのに反則になった」と判定に異議を唱えるケースがある。これに関し「どこの部位が、相手のどこの部位に接触しているか」、「アプローチの方向、距離、スピード、勢い、体勢のタイミングは?」、「相手の安全に配慮したか」など、「ボールに触れたからノーファウルではない。場合によってはレッドカードもありえる」との判断基準が示された。 ボールごと両足を刈り取るようなタックルや、ボールにアタックしていても足裏で強く当たりに行き、ボールと足を弾き飛ばすようなプレーは選手生命を脅かす危険性があるだけに、Jリーグだけでなくどの年代でも反則だという啓蒙活動が必要だろう。「ボールにアタックにしたのだからファウルではない」という誤った考え方を変えるためにも、Jリーグや日本代表の果たす役割は大きいと思う。 そして同じようにルールを勘違いしている同年配のサッカー愛好家も多いのではないだろうか。たとえば「非紳士的なプレー」という反則である。こちらは女子サッカーの普及に伴い、“紳士的"な文言は時代にそぐわないとして削除された。「非紳士的なプレー」とはフェアプレー精神の裏切りであり、具体的には審判への異議や対戦相手のへの侮辱的、攻撃的、下品な発言や行動、唾吐きなどがあげられる。 現在では唾吐きは「スピッティング」という反則に該当し、それ以外は「非スポーツ的行為」と規定されている。付け加えるなら「GKチャージ」という反則も1997年以降は廃止されている。それまでのサッカーファンなら、ゴールエリア内はどんなプレーでもGKは「守られている」のが常識だった。 しかし、GKもフィールドプレーヤーと同じスキルを求められるように、GKへの“正当な"チャージ、空中戦での競り合いは認められるようになった。このため「GKチャージ」という反則名はなくなり「GKへのチャージ」というジャッジになった。とはいえ、こちらは正直、試合を取材していても、どこまでが正当なチャージで、どれがGKへの反則なのか判断は難しい。どれもが「GKチャージ」と思えるような判定が多いからだ。とはいえGKの安全確保のためには、そうしたジャッジも必要だろう。 大切なのは、「頭部への負傷」や「ボールに行ったとしても強度のアタック」、「GKへのチャージ」といった危険を伴うプレーに対して、トップリーグからアンダーカテゴリーまで、指導者や選手が判断基準を共有することではないだろうか。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.04.17 22:00 Mon
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監督交代も山形の連敗は止まらず/六川亨の日本サッカーの歩み

先週のコラムでは、監督解任第1号となった清水を取り上げた。その甲斐あってか、昇格圏にいた東京Vに逆転で今シーズン初勝利を収めた。そして同じくピーター・クラモフスキー監督との契約を解除して、渡邊晋コーチが新監督に就任した山形は大宮と対戦したものの、1-2で敗れて開幕2連勝後は6連敗となった。 大宮は、アウェー4連敗もホームでは3連勝と今シーズンはホームでの強さが目立つ。とはいえチーム状況は万全とはいえなかった。チームを牽引してきた新外国人FWアンジェロッティが全治6週間、さらに攻守で献身的なプレーを見せるFW中野誠也も負傷と2トップがリタイアしてしまった。 さらに昨シーズンはチーム2位の得点数を誇る背番号10のFW河田篤秀が、3月28日に鳥栖へ電撃移籍。河田は直後のFC東京戦で決勝点(1-0)を奪うなど、相変わらず勝負強さを発揮した。 こうした状況で、大宮の攻撃陣は32歳のベテランFW富山貴光と東洋大からのルーキー室井慧佑しかいなかった。相馬直樹監督も「富山と室井の2トップを考えた」と打ち明ける。しかし相馬監督が選択したのは富山の1トップと、テクニシャンMF小島幹敏をトップ下に置く4-2-3-1だった。 これに戸惑ったのが山形だった。「いままで2トップで来ていたのがケガで小島がトップ下。我々が準備してきたことができなかった。ミスマッチとなった。ぶっつけ本番みたいな形になった」と渡邊監督は悔やんだが、開始7分にCKの流れから失点するなど浮き足だった印象は否めない。その後は交代出場のFWデラトーレのアシストからFWチアゴ・アウベスが同点ゴールを奪ったものの、後半はなかなか効果的な攻撃を仕掛けられない。ボールを保持して攻めようという前監督時代からの意図はわかるものの、パスをつなぐことが目的になってしまっていた。 試合後の渡邊監督は「チームが置かれている状況を考えれば、もしかしたら引き分けでもダメで、勝ちがマストの状況だったと思うんですけど、引き分けすら、勝点1すら取れなかったのは情けない」と悔しさを露わにした。それでも「ただ、いま苦しい状況にいるなかで選手たちは現状を打開しようという姿勢は見られた」と選手をかばった。 現在J2リーグの最下位は徳島で千葉、山形と続いている。いずれもJ1リーグを経験したクラブだが、「チームは生き物」とよく言ったもので、一度歯車が狂うと建て直すのは至難の業のようだ。それはJ1リーグの柏、G大阪、鹿島、川崎Fにも当てはまるのかもしれない。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.04.10 22:00 Mon
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監督解任第1号は清水のゼ・リカルド監督/六川亨の日本サッカーの歩み

今シーズンのJ1リーグは第6節を、J2リーグは第7節を終え、上位と下位のチームで明暗が分かれ始めて来た。J1リーグでは18位の柏と17位のFC横浜、16位のG大阪の3チームが未勝利で下位に沈んでいる。J2リーグでは22位の徳島と19位の清水が同じく未勝利で、21位の千葉や20位の栃木も1勝しか上げられずにもがいている。 ただ、例年なら下位チームはもっと早く監督交代があってもいいと思っていた。やはりJ1リーグは、今シーズンは1チームしか自動降格しないため、どのチームもガマンしているのだろうか。そしてJ2リーグも今シーズンは3チームが昇格できるため、チームの調子が上向きになるまで待っているのかと思っていたら、清水がゼ・リカルド監督の解任と、今シーズン就任した秋葉忠宏コーチの監督昇格を発表した。 チームは1日の甲府戦に0-1と敗れ、リーグ戦は昨年8月27日の京都戦に1-0で勝って以来、14戦未勝利とクラブのワースト記録を更新していた。チームには日本代表GK権田修一と昨シーズンの得点王チアゴ・サンタナに加え、今シーズンは攻守にアグレッシブなプレーをみせるSB吉田豊が9年ぶりに復帰。戦力の充実度ではJ2リーグ屈指のため昇格候補の一番手と思っていた。 ところが、偶然にも1日の甲府戦を取材してガッカリした。清水は、全盛時はもちろんのこと、過去に降格したシーズンもボールポジションでは相手を上回る“清水スタイル”を持っていた。しかし甲府戦では、「今日はディフェンスの位置を低くして、相手を引きつけてから裏を突こう、速さを生かして北川の良さを生かそうとした」と試合後にゼ・リカルド監督が語ったように、北川とチアゴ・サンタナにロングパスを出して走らせる単調な攻撃に終始した。 甲府が清水を圧倒する戦力を誇るならそれも仕方がない。しかし甲府の篠田善之監督が「清水は個でもチームでも打開してくるチーム」と言ったように、個のポテンシャルは明らかに清水が上回っていて、押し込む時間も長かった。にもかかわらず、消極的なサッカーを選択したのは、やはり結果が出ていないからだろうか。 両チームの対戦は「富士山ダービー」とも言われ、清水からも多くのサポーターが応援に駆けつけた。そして甲府がホームで勝ったのは今回が初めてだった。篠田監督自身もFC東京の監督を解任された翌年に清水のコーチに就任し、「5年間、清水にはお世話になり監督もやらせてもらった。こうして対戦することを想像できなかった。学ばせていただいたので恩返しというか、ひたむきさを見せたかった」と感謝の言葉を口にした。 昨シーズンは初となる天皇杯を獲得したが、リーグ戦は18位に沈み監督も交代した。にもかかわらず現在のところ4位につけて昇格プレーオフ圏内にいるのは大健闘と言える。 清水に関して言えば、他チームの監督がゼ・リカルド監督の練習は「時代遅れ」と指摘していた。攻撃はパターン化されたフォーメーション練習で、その後は紅白戦らしい。実際に取材したわけではないので真偽のほどはわからないが、かつての華麗なパスワークが失われたのは寂しい限り。 せめてもの救いは、サポーターによるサンバのリズムの応援は昔も今も変わらなかったことだ。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.04.04 18:30 Tue
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大幅に若返った日本代表。42年前にも大幅な若返りがあった/六川亨の日本サッカーの歩み

3月のキリンチャレンジカップ2023で招集された25名(前田大然は左ヒザの負傷で途中離脱)のうち、最年長はGKシュミット・ダニエルの31歳、最年少はバングーナガンデ佳史扶と半田陸の21歳で、ウルグアイ戦のスタメンの平均年齢は25.8歳、25名の平均年齢も24.6歳という若さだった。 カタールW杯のメンバーだった40歳のGK川島永嗣と34歳の権田修一、さらにDF陣も長友佑都(36歳)、吉田麻也(34歳)、酒井宏樹(32歳)といったベテランの招集が見送られたため、一気に若返った印象が強い。 代表チームは常に「最強」を求められるが、過去にも日本代表が大幅に若返ったことがある。1980年3月に監督に就任した渡辺正氏(故人)だったが、10月にくも膜下出血で倒れて指揮を執ることができなくなった。そこで日本サッカー協会(JFA)の強化本部長だった川淵三郎氏(初代Jリーグチェアマン)が監督を兼任することになったのだ。 初陣は80年12月に始まるスペインW杯予選だったが、当時の日本にとってW杯は「夢のまた夢」。当面の目標は1984年のロサンゼルス五輪に出場することだった。そこで川淵監督は「25歳以下の選手」という方針を打ち出した。漫画『赤き血のイレブン』のモデルになったFW永井良和氏やGK田口光久氏(故人)、JSL(日本サッカーリーグ)で16シーズン、260試合連続出場という大記録を打ち立てたDF落合弘氏らベテラン勢は代表からの引退を余儀なくされた。 当時のチームで最年少は枚方FCというクラブ育ちで天才少年と呼ばれた佐々木博和(松下)の18歳。彼以外にも読売クラブの都並敏史氏(現ブリオベッカ浦安監督)、戸塚哲也氏、筑波大学の学生だった風間八宏氏(現C大阪スポーツクラブ技術委員長)は19歳という若さ。最年長は前田秀樹氏(東京国際大学監督)の26歳で、24歳の岡田武史氏(元日本代表監督)、22歳で国士舘大学に所属していた山本昌邦氏(現JFAナショナルチームダイレクター)、同じく22歳の原博実氏(現大宮フットボール本部長)も“新生・日本"のメンバーだった。 ところがスペインW杯アジア予選前に行われた日本代表シニアとの壮行試合では、釜本邦茂氏や西野朗氏、藤口光紀氏(現日本フットサルトップリーグ代表理事)らを擁するチームに2-3と競り負けてしまう。そして予選でも、2年前にFIFAに復帰した中国に0-1、マカオには3-0で勝ったものの、準決勝で北朝鮮に延長の末に0-1と敗れて敗退が決まった。 翌81年に川淵監督は14試合の指揮を執り、3勝3分け8敗という成績。敗れた試合では、マレーシアに0-1、タイ・ユース代表に1-2、インドネシアに0-2とアジアでもなかなか勝てない時代だった。川淵監督最後の試合は日韓定期戦で、こちらも0-1で敗れ、直後に開かれた強化本部会で川淵監督の退任と、森孝慈(故人)コーチの監督就任が正式に決まった。 森監督は若手主体のチームに190センチの長身FW松浦敏夫氏(26歳)やDF加藤久氏(25歳)の中堅選手に加えてベテランGKの田口氏を復帰させるなど柔軟な選手起用を見せた。82年11月にインドで開催されたアジア大会では、国外で初めて韓国を2-1と破った(決勝点は岡田氏のロングシュート)。 しかしロス五輪アジア最終予選では、それまで一度も負けたことのないタイに初戦で2-5と大敗。その後もマレーシアに1-2、イラクに1-2、カタールに1-2と連敗して、16年ぶりの五輪出場は夢と消えたのだった。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.03.28 17:00 Tue
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