【2022年カタールへ期待の選手vol.110】欧州関係者が「E-1最大の収穫」と認めた大型FW。近未来の代表1トップへ飛躍を!/町野修斗(湘南ベルマーレ/FW)

2022.07.30 15:15 Sat
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©︎J.LEAGUE
「この(EAFF)E-1選手権は集まった時からチームとして優勝を目指していたので、まず目標を達成できたこと、そして、個人としての3ゴールとしての目標を達成したことを嬉しく思っています」

27日に豊田で行われた韓国との優勝決定戦。この大一番でダメ押しとなる3点目をゲットし、3-0の勝利とタイトル獲得の原動力となった町野修斗(湘南)は安堵感を吐露した。

後半27分のゴールシーンは藤田譲瑠チマ、西村拓真、小池龍太という横浜F・マリノス勢の連携から右サイドを攻略する形から生まれたもの。最前線に飛び込んだ町野は押し込むだけでよかったが、「『中で待っているからね』とリュウ君と話をしていたので、狙い通りのゴールだった」と意思疎通を重ねた成果だったことを明かした。
年代別代表経験ゼロのストライカーが短期間でここまでの適応力を発揮するとは、森保一監督も驚いたに違いない。今季開幕時点では全くの無印だった男が、4カ月後に迫った2022年カタールワールドカップ(W杯)への挑戦権を得たのは確かだろう。

新星FWの経歴を改めて振り返ってみると、99年生まれの町野は三重県伊賀市出身。中学生までは地元のクラブチームに所属し、大阪・履正社高校へ。林大地(シント=トロイデン)や田中駿汰(札幌)は2つ上の先輩に当たる。そういう環境の中で1年から試合に出場。横浜のスカウトの目に留まり、2018年にはマリノス入りを果たした。

しかしながら、ウーゴ・ヴィエイラらがひしめく名門で18歳の大型FWが出番を得られるほど甘くない。案の定、リーグ戦出場ゼロに終わり、2019年にはJ3のギラヴァンツ北九州へレンタルに赴く。そこで町野を鍛えたのが、小林伸二監督(現SD)だ。

「J3へ移籍した時には『見返してやる』っていう気持ちでした。基本的な走るところだったり、戦うところ、攻守の切り替えをかなり積み上げることができた」と本人も言うように、原点回帰を図れたのが大きかった。

1年目はJ3で8ゴールを挙げてJ2昇格に貢献し、2年目の2020年はJ2で7ゴールと着実に実績を残すことに成功。その活躍に目を付けた湘南ベルマーレが獲得オファーを出す。かつて自身も点取屋だった坂本紘司強化部長も壮大なスケールとポテンシャルを感じ取ったからこそ、補強に踏み切ったのだろう。

2021年から完全移籍でJ1参戦を果たした町野。しかしながら、湘南での1年目は4ゴールと突出した結果は残せなかった。チーム内でもウェリントン、大橋祐紀らと横一線の状況で、スタメンに定着できたとは言い難かった。

その序列は今季開幕前も同じ。「今季J1・5位」という大目標を掲げた湘南にしてみれば、誰が得点源になるのかは最重要テーマに他ならなかった。山口智監督も当初は新戦力の瀬川祐輔やウェリントン、大橋らを使い回しながら打開策を探っていたが、町野は開幕2戦目のサガン鳥栖戦、4節目の京都サンガ戦でゴール。一歩リードし始めた。

流れに拍車がかかったのが、5月21日のヴィッセル神戸戦だ。アンドレス・イニエスタが最後の最後に直接FKを決めながら認められず、主審に詰め寄った乱戦で、町野は2ゴールをゲット。勝利請負人として大仕事を果たす。続く5月25日の川崎フロンターレ戦でも2発を叩き出し、一気に勢いに乗った。その後、FC東京や京都からもゴールし、6月末時点では8ゴール。E-1選出が有力視されるところまで急浮上した。

ところが、7月2日の名古屋グランパス戦の終了間際に右足首負傷。松葉杖をついて帰る羽目になり、代表入りに黄信号が灯った。森保監督も「1トップの選考が難しくなった」とコメントするなど、動向が懸念された。が、ケガは軽傷で済み、すぐに公式戦に復帰。今回のE-1でのブレイクにつなげた。

このように町野は要所要素で運にも恵まれ、「ポスト大迫勇也(神戸)最右翼」というポジションを勝ち得るところまで来たのである。

「E-1は東アジアの大会。世界基準で見るとどうしてもレベル的には落ちるが、その中で今後への大きな可能性を示したのは町野だ。185センチの長身でスピードと技術があり、いろんな仕事をこなせるし、今後が楽しみ」と欧州在住の日本人関係者も高く評価。2022年シーズン終了後の海外移籍の可能性も出てきたと言っていい。

ただ、その前にカタールW杯があることを忘れてはいけない。森保監督も「9月の欧州遠征にE-1組の何人かを連れていきたい」という意向を示しており、MVPの相馬勇紀(名古屋)や町野は有力候補ということになる。

22歳の大型FWが限られた枠に本当に食い込もうと思うなら、7月30日のジュビロ磐田戦から再開されるJ1でさらなる結果を残すことが肝要だ。もちろん大迫のコンディション次第という部分もあるが、彼がコンスタントにゴールを奪い、名実ともにJリーグトップの地位を勝ち得れば、大舞台への道が開けてこないとも限らないのだ。

「優勝はもう過去の話。Jリーグで自分が持ち味を出してチームを勝利に導くことが、W杯や代表招集につながってくる」と本人もギラギラした野心を押し出している。そういう部分は非常に頼もしい。ここから劇的な成長曲線を描くことを大いに期待したい。
【文・元川悦子】
長野県松本市生まれ。千葉大学卒業後、夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターとなる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォローし、日本代表は特に精力的な取材を行い、アウェイでもほぼ毎試合足を運んでいる。積極的な選手とのコミュニケーションを活かして、選手の生の声を伝える。

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2026年北中米W杯を本気で狙う! U-22代表期待の大学生FWが見据える「三笘ロード」/佐藤恵允(明治大学)【新しい景色へ導く期待の選手/vol.10】

2024年パリ五輪まであと1年あまり。新型コロナウイルス感染拡大で1年延期となった東京五輪とは違い、日本代表の強化期間は3年しかない。 2021年12月の大岩剛監督就任後、2022年6月のAFC U-23アジアカップ(ウズベキスタン)や同年9・11月、2023年3月の3度の欧州遠征などに赴いて強化を続けているが、フルメンバーのA代表を経験したのはバングーナガンデ佳史扶(FC東京)と半田陸(G大阪)くらいだ。 攻撃陣の方は2022年カタールW杯の主力だった伊東純也(スタッド・ランス)、鎌田大地(フランクフルト)、三笘薫(ブライトン)、堂安律(フライブルク)ら欧州組がひしめいており、若手アタッカー陣にとっては非常に高い壁というしかない。 とはいえ、本当の勝負は3年後。現時点でA代表経験がなかったとしても、突き抜けてくる人材がいないとも限らない。我々の全く予期せぬ人材が頭角を現すかもしれない。98年フランス大会一世を風靡した中田英寿、2002年日韓大会で2ゴールをマークした稲本潤一(南葛SC)、2010年南アフリカ大会で世界の度肝を抜いた本田圭佑といった過去のスターたちも、W杯3年前の時点では数多くいる候補の1人でしかなかったのだ。 今やトップスターに上り詰めた三笘にしても、3年前の2019年は筑波大学の学生だった。川崎フロンターレでプロキャリアをスタートさせたのは2020年。最初は体力面や守備力の課題に直面し、先発で使ってもらえないことが多かった。A代表デビューは東京五輪後の2021年11月のオマーン戦(マスカット)。それからわずか1年あまりで日本のエースに躍り出たのだから、凄まじい成長曲線には驚かされるばかりだ。 その「三笘ロード」を歩もうとパリ世代の面々も虎視眈々と狙っているに違いない。 候補者筆頭と目される1人が、目下、明治大学4年の佐藤恵允(けいん)だろう。大学2年だった2021年11月にU-22日本代表の1人として1月のAFC U-23アジアカップ予選(福島)に参戦してから、彼はコンスタントに日の丸を背負ってきた。大岩監督就任後も昨年のウズベキスタン、9月の欧州遠征に参戦。今年3月のU-22ドイツ・ベルギー2連戦にはいずれも出場し、2戦連発という離れ業をやってのけたのだ。 そして4月23〜26日にかけて行われたU-22代表候補合宿にも参加。今回は新顔18人を加えた28人での活動となったが、実績面で頭抜けている佐藤の存在感は圧倒的で、最終日の11対11の紅白戦でもゴール。常連メンバーの意地とプライドを見せつけた。 「僕はこれまで代表にコンスタントに選ばせていただいている身。今まで積み重ねてきたシームレス(な攻守の連動)だったり、インテンシティってところを自分が示していかないといけない。それに攻撃の選手なんで、得点に絡む仕事をしないと生き残っていけない。そこはもっと磨いていきたいです」と本人は強調していたが、最後まで高い意識を見せつける形になった。 コロンビア人の父、日本人の母を持つ佐藤は2001年7月生まれ。東京都世田谷区出身で、実践学園高校から2020年に明治大学に進んだ。明治では入学当初は試合に出られず、苦い思いも味わったというが、栗田大輔監督から口を酸っぱくして言われた「人間性の部分」を大事にしながら、ここまで這い上がってきたという。 「自分の中で大学に入ってからテーマにしていたのは『素直な気持ち』と『謙虚さ』。あとは『気を使える選手』になりたいと思って、ここまで努力してきました」 「まずは人の意見を聞いて、それが自分にとって必要なのかどうかを考え、噛み砕いて落とし込んでいく。その作業が大切だとすごく感じたし、それを繰り返してきました」 「1つの例が守備。明治に入った頃は守備が全然ダメだと言われて悩んだんですけど、今では自分の特徴になっている。大岩監督も前線からチームを助ける泥臭い守備と対人の強さが評価されて、ここに呼んでもらっていると思います」と佐藤は大学生らしい冷静かつ客観的な分析力で自己評価をしてみせた。 こういった表現力の高さは三笘に通じる部分がある。サイドアタッカーでドリブル突破が武器という共通点もあるため、「ネクスト三笘」という呼び声も高い。 「三笘さんは同じ大学経由の選手というのもありますし、ポジションも同じ。1対1の仕掛けとか相手との駆け引きが非常にうまいんで、すごく参考になります。自分は1年後のパリ五輪に行って、2026年北中米W杯に出るのが目標ですけど、そのためには三笘さんを超えないといけない。そうなるような日々の積み重ねをしていかないといけないと思っています」と彼は語気を強めていた。 壮大な夢を現実にするためにも、明治大学からどういうルートを歩むかが肝心。彼のところには数多くのJクラブからオファーが殺到しているが、本人は「プロ1年目で活躍できる環境」というのを第一に選択していくつもりだ。 確かに今のA代表の軸を担う伊東、守田英正(スポルティング・リスボン)、三笘ら大卒選手たちはプロ1年目から圧倒的なインパクトを残していた。そういう人材でなければW杯に行けないということだ。 賢い佐藤は厳しい現実をよく分かっているはず。まずは最適な進路を選択し、U-22代表での地位を固めていくことが肝心である。ここからの飛躍が大いに楽しみだ。 <hr>【文・元川悦子】<br/><div id="cws_ad">長野県松本市生まれ。千葉大学卒業後、夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターとなる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォローし、日本代表は特に精力的な取材を行い、アウェイでもほぼ毎試合足を運んでいる。積極的な選手とのコミュニケーションを活かして、選手の生の声を伝える。</div> 2023.04.27 18:30 Thu
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セネガル、コロンビア、イスラエルと同組。U-20W杯で貴重なJ経験を発揮したい山根陸【新しい景色へ導く期待の選手/vol.9】

5月20日の開幕1カ月前に、突如として開催地がインドネシアからアルゼンチンに変わるという前代未聞の事態が起きた2023年U-20ワールドカップ(W杯)。その組み合わせ抽選が21日に行われ、日本はセネガル、コロンビア、イスラエルと同組に入った。 21日の初戦、24日の第2戦・コロンビア戦はブエノスアイレスから近郊のラプラタが会場で、27日の第3戦・イスラエル戦はチリ国境に近いメンドーサに移動することになる。 とはいえ、年代別代表を含めた日本代表がアルゼンチンで国際大会を戦うのは、2001年U-20W杯(当時はワールドユースと呼ばれていた)以来。2011年コパ・アメリカも当初、参加予定だったが、東日本大震災のためにキャンセル。それだけ日本サッカー協会(JFA)の経験値が乏しいということだ。 22年前のU-20W杯の1次リーグの会場はロサリオで、JFAの小野剛技術委員会副委員長がコーチを務めていたが、当時とは環境や国情も大きく変化していると見られるため、やはり不安要素は少なくない。 「時差調整には通常、1時間当たり1日を要すると言われています。-2時間のインドネシアだったら問題はないのですが、アルゼンチンの場合は-12時間。できれば10日は現地で調整したいところです。が、5月12〜14日のリーグ戦前の選手招集は難しい。頭の痛いところです」と冨樫剛一監督は頭を抱えていた。 しかも、今回のメンバーである2003〜2004年生まれの面々はコロナの影響でユース年代での海外経験が極端に少ない。JFAエリートプログラムU-14やUー15日本代表などで欧州やUAEなどに遠征経験のある北野颯太(セレッソ大阪)も「南米は行ったことがない」と話していた。 「彼らの世代は何も知らない分、思い切って戦える」と冨樫監督も前向きにコメントしていたが、未知なる戦いになるのは間違いない。 3月のAFC U-20アジアカップ(ウズベキスタン)で副キャプテンとして主将の松木玖生(FC東京)をサポートしつつ、中盤を精力的に支えた山根陸(横浜F・マリノス)にとっても、今回が事実上の国際舞台デビューとなるのだ。 「対戦相手はレベル高い国ばかり。イスラエルは欧州で準優勝しているし、未知なる国。コロンビアも昨年のモーリス・レベロ(・トーナメント=フランス)でやられている。セネガルはA代表含めて身体能力が非常に高い。本当に楽しみですし、こういう強い相手とやるために頑張ってきたので、自分たちの積み重ねてきたものをぶつけて、全力で勝ちにいきたいなと思います」と彼は力を込めていた。 U-20代表でもボランチを主戦場とする彼だが、最近の横浜FMでは右サイドバック(SB)でプレーする機会が多い。持ち前の冷静さや戦術眼、攻撃センスを武器に、4月8日の横浜FCとのダービー、15日の湘南ベルマーレ戦などでは良い味を出していた。 しかしながら、22日の首位・ヴィッセル神戸との大一番では、ドリブル突破に秀でる汰木康也とのマッチアップに苦戦。前半19分には自身のヘッドでのバックパスが大きくなり、GK一森純がコントロールできず、汰木に飛び出されて決められるというミスを犯してしまった。 「汰木選手がどこを通るのか、自分の近くを通るのか、外を回られているのかとかが全然分からなかったですね。あのシーンは前にしっかりクリアしておくべきだったと思います」と本人は反省しきりだった。 しかも9分後の大迫勇也の2点目も、山根が汰木にクロスを上げさせた結果、決められている。2失点に絡むというのは本人にとってもショックが大きかったが、タテ関係を形成する水沼宏太らが声をかけてくれたことで奮起。気を取り直すことができた。 そこから山根は勇敢さとアグレッシブさを取り戻し、前への推進力を出せるようになる。横浜前半のうちに2点のビハインドを跳ね返して同点に追いついたこともメンタル的には大きかったのだろう。そして最終的にはアンデルソン・ロペスの決勝点が生まれ、3-2で逆転勝利。19歳の若武者も心から安堵した様子だった。 「『迷惑をかけたな』という気持ちが大きいですね。この経験が後になっていい学びだったと思えるようにつなげていくしかないです。U-20W杯に行ってもうまくいかない時間帯というのは必ずある。神戸戦で後半立て直せたように、早い段階で修正することが重要だと思います。この試合で周りが僕を助けてくれたように、自分がチームメートを助けられるようにならないといけないと思います」 山根は神妙な面持ちで語ったが、同年代ではリーダー格の彼は声出しや統率力で仲間を鼓舞しなければいけない立場。そう自覚できたことは大きいと言っていい。 ポジションに関してはボランチがメインだろうが、屋敷優成(大分)以外の右SB要員が手薄ということもあり、U-20W杯でもクラブと同じようにこの位置で起用される可能性もある。その場合、汰木のように突破力のある相手を確実に封じることが肝要。神戸戦の教訓が必ず生きてくるはずだ。 2017年韓国大会の後には堂安律(フライブルク)、2019年ポーランド大会の後にも菅原由勢(AZ)や中村敬斗(LASKリンツ)らが欧州クラブからオファーを受け、海外挑戦に踏み切り、数年後のA代表入りをつかんでいる。U-20W杯というのはそれだけ重要度の高い大会なのだ。山根も「目の前に転がるビッグチャンスをつかみ取るんだ」という貪欲さと泥臭さを強く押し出すべき。目の色を変えて突き進む彼の姿をぜひ見たい。 <hr>【文・元川悦子】<br/><div id="cws_ad">長野県松本市生まれ。千葉大学卒業後、夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターとなる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォローし、日本代表は特に精力的な取材を行い、アウェイでもほぼ毎試合足を運んでいる。積極的な選手とのコミュニケーションを活かして、選手の生の声を伝える。</div> 2023.04.24 13:30 Mon
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新キャプテン候補に名乗りを挙げた板倉滉。最終ラインの統率役に求められることとは?【新しい景色へ導く期待の選手/vol.8】

3月シリーズはウルグアイに1-1にドロー、コロンビアに1-2の逆転負けと、厳しい船出を余儀なくされた新生・日本代表。2026年北中米ワールドカップ(W杯)ベスト8への道は想像以上に険しそうだ。 それでも、森保一監督は「未来を見据えて選手個々のレベルアップ、チーム全体の選手層・戦い方の選択肢を増やすことは絶対的に必要」と3年後を見据えた若手抜擢を今後も推し進めていくという。6月以降はパリ五輪世代のさらなる抜擢やU-20世代の発掘も推し進めていく構えだ。 2024年1〜2月のアジアカップ(カタール)などでは、吉田麻也(シャルケ)ら30代ベテランの呼び戻しもあり得るだろうが、基本的には2022年カタールW杯を経験した東京五輪世代とパリ世代を融合させ、次なる高みを目指していくことになりそうだ。 そういった流れを見越して、キャプテンの人選も慎重に進めている。ご存じの通り、指揮官はウルグアイ戦でまず30歳の遠藤航(シュツットガルト)にマークを託し、続くコロンビア戦では26歳の板倉滉(ボルシアMG)を抜擢している。 ただ、2戦目がベンチスタートだった遠藤とは異なり、板倉は2戦連続フル出場。菅原由勢(AZ)や瀬古歩夢(グラスホッパー)ら若いDF陣がズラリと並んだ最終ラインの統率役も託された。それだけ森保監督も彼を重視しているということなのだ。 もともと東京五輪世代のリーダーは中山雄太(ハダースフィールド)が長く担ったが、カタールW杯を棒に振った彼を今後のキャプテン候補と位置づけるのは厳しい。冨安健洋(アーセナル)もケガがちで先々の不安が拭えないことを踏まえると、板倉というのは適切な人選と言っていい。 「高校の時やアンダー世代の時に巻いたことはありますけど、それとは比較にならないくらい重みがある。絶対チームを勝たせたいという思いがありました。その自覚を持ってまた自チームに帰って成長したい」と本人も語気を強めたが、正式キャプテン就任のありなしに関わらず、第2次森保ジャパンの大黒柱にならなければいけないのは間違いない。 2試合を通して見ると、守備面では瀬古や菅原に声をかけながらラインコントロールをリードし、危ない場面では自ら体を張って阻止しようとしていた。不慣れな面々との連携はやりづらさもあったはずだが、意思疎通を図りながら合わせようと努めていた。 だが、コロンビアに同点弾を奪われた前半33分のシーンは悔やまれた。自らが競ったボールを相手MFアリアス(フルミネンセ)に奪われ、左SBマチャド(ランス)へ。板倉は必死に対応したが間に合わず、マイナスクロスを入れられた。次の瞬間、ドゥラン(アストンビラ)に決められたのだ。 1-1に追いつかれた苦しい局面。板倉にはここでこ周囲を鼓舞するような声出しや盛り上げが期待されたが、そういうアクションは見られなかった。これまで吉田や長友佑都(FC東京)に任せていた分、自分のことで精一杯になったのかもしれないが、やはり物足りなく映った。 今後、名実ともに大黒柱に君臨しようと思うなら、周りに苦言を呈するくらいの厳しさを示せなければいけない。穏やかな性格の板倉にはハードルが高いテーマかもしれないが、DF最年長である以上、やるしかない。 一方の攻撃面は落ち着いて、やはり球出しに長けた選手。落ち着いて見ていられるプレーが多かった。特にコロンビア戦はボランチに鎌田大地(フランクフルト)と守田英正(スポルティングCP)という配球に長けた2人が並んだことから、ビルドアップの部分はかなり改善された印象だった。 「ただ、結局、いいビルドアップをしようが、いいつなぎをしようが、コロンビア相手に勝っていかないといけないというのを思い知らされた試合だった。個人の感覚としては全然悪くなかったけど、相手は修正も早いし、インテンシティが上がった時にどう崩すかという課題もあった。これを積み重ねていくしかない」と板倉は悔しさをにじませたが、トライしていること自体は悪くない。もっと長短のボールを織り交ぜながら、攻撃に緩急をつけていくことができれば、日本の攻撃も活性化するはずだ。 新生・代表は今後、6・9・10月のインターナショナルマッチデー(IMD)のテストマッチを経て、11月から2026年W杯アジア予選に突入。前述の通り、来年にはアジアカップを戦う。その後、2024年パリ五輪を経て、秋からは最終予選に挑むことになるが、その時点ではより多くの若い選手が入ってくる可能性が大だ。 となれば、板倉はより重責を背負うことになるだろう。ドイツでは吉田と徒歩圏に住み、時には自宅に大先輩が来ることもあるという彼には、大先輩が何を考え、どんな行動を取ってきたかを誰よりもよく分かっているはず。それを今後の代表に生かさなければ意味がない。 「チームやディフェンスラインがうまくいっていないときに軸となって支えられる選手でないといけないと今回やってみて感じている。そして個の力ももっと伸ばさないといけない」と強調する板倉には、まずボルシアMGで少しでも順位を引き上げられるように努めてもらいたい。 <hr>【文・元川悦子】<br/><div id="cws_ad">長野県松本市生まれ。千葉大学卒業後、夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターとなる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォローし、日本代表は特に精力的な取材を行い、アウェイでもほぼ毎試合足を運んでいる。積極的な選手とのコミュニケーションを活かして、選手の生の声を伝える。</div> 2023.03.30 19:30 Thu
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わずか4分でも大きな一歩。A代表デビューで「絶対生き残る」と決意した中村敬斗の今【新しい景色へ導く期待の選手/vol.7】

24日の第2次森保ジャパン初陣・ウルグアイ戦(東京・国立)の後半44分。三笘薫(ブライトン&ホーヴ・アルビオン)と交代し、記念すべきA代表デビューを飾ったのが、背番号7をつける中村敬斗(LASKリンツ)だった。 「同じポジションに三笘選手がいて、どう交代してもらえるのか分からない中で、少しでも使ってもらえたことはすごく大きい」 こう語る彼は「千載一遇のチャンスだ」と捉え、堂々とピッチに立ち、猛然と敵を追い回した。ロスタイムには先制点を挙げたMFバルベルデ(レアル・マドリード)にハイプレスに行き、DFゴンサレス(マジョルカ)とMFカルバジョ(グレミオ)に寄せられながらも粘って橋岡大樹(シント=トロイデン)にパス。FKを得るきっかけを作った。 「球際に1つ勝っただけで、次のコロンビア戦(28日=大阪・ヨドコウ)に挑む気持ちは変わりますよね。もちろん十分な時間ではなかったけど、代表というものを感じるというか、次の試合に向けてのメンタル面も含め、僕にとっては十分な時間だった。絶対に代表に生き残っていきたいなという気持ちが一層強くなりました」と年代別代表の頃からの悲願だったA代表の一歩を踏み出した22歳のアタッカーは毅然と前を向いた。 ここまでの道のりは順風満帆とは言えなかった。2017年U-17W杯(インド)と2019年U-20W杯(ポーランド)に出場し、17歳でガンバ大阪入り。19歳になったばかりの2019年夏にはオランダ1部・トゥベンテへレンタル移籍し、PSVとアヤックス相手にゴールを奪うという鮮烈な欧州デビューを飾った中村だが、徐々に出番を減らすことになった。 2020年夏にはシント=トロイデンに新天地を見出すも、ほとんど出番を得られず、2021年2月にはオーストリア2部のFCジュニアーズへ。「早く世界トップに駆け上がりたい」と焦燥感にかられていた男が格下リーグへ行くというのは、やはり大きな決断だったに違いない。 「試合に出ることを優先した選んだ道でした」と本人は言う。そこで地道に1つ1つキャリアを積み上げる重要性を再認識したはずだ。「あまり先のことを考えず、目先のことを一歩ずつこなしていこうと考えて、ここまで来ました」と中村も神妙な面持ちでコメントしていた。 かつて南野拓実(モナコ)も自己研鑽に務めオーストリアという国で自分と徹底的に向き合ったことで、ゴールにつながるチャンスメーク、クロスに飛び込んで得点を奪う飛び出しなど、ペナルティエリア付近での仕事に磨きをかけることができた。その成長を認められ、同年夏には提携クラブのLASKリンツに引っ張られ、ガンバから完全移籍。ようやくオーストリア1部で落ち着いてプレーできる環境を手に入れた。 それから2年近くが経過した今、中村は今季公式戦14ゴールという数字を残すと同時に、オフ・ザ・ボール時の切り替えや運動量、守備の強度などをブラッシュアップさせ、幅広いプレーのできる選手へと変貌。その一端を今回の代表合宿中のトレーニングでも示している。 「現代サッカーはどのチームも切り替えとか守備の強度が基盤にある。そのうえにテクニックや戦術があるので、まずは戦うところじゃないですか」といった言葉が口を突いて出てくるあたりは、紛れもなく大人のフットボーラーになった証拠。10代の頃は武器であるシュート力や推進力に依存しがちなアタッカーだっただけに、欧州での苦労や挫折が彼を大きく変えたのだろう。 心身ともに充実した状態で参戦している今回の森保ジャパン。2022年カタールW杯を経験した先輩たちも多く、彼らから吸収できることも多いという。 「シント=トロイデンで一緒にやっていたシュミット・ダニエルさんにはすごくよくしてもらっていますし、同じポジションの三笘選手には試合が終わった後もアドバイスをもらったりしました。個人戦術の話なんですけど、学ぶことがいっぱいで、この代表活動はすごく有意義なものになっていますね」 年長者だけでなく、年代別代表時代から共闘してきた同世代からも刺激を受けている。同じ2000年生まれの菅原由勢(AZ)と瀬古歩夢(グラスホッパー)はウルグアイ戦でスタメンを勝ち取っているし、谷晃生(G大阪)も東京五輪全6試合に出場した実績がある。そして1つ下の久保建英(レアル・ソシエダ)も今季スペイン1部で5ゴール3アシストという目覚ましい数字を残している。 「タケと一緒にやるのは、2018年12月のU-19代表のブラジル遠征以来じゃないかな。メチャクチャうまいと思いますよ。特別な選手じゃないですかね」とリスペクトを口にする。次戦ではその久保と共演する可能性がある。10代の頃コンビを組んだ盟友に負けじと、中村はパンチ力あるシュートで見る者を魅了すべきだ。 ここからは2000年生まれ世代が台頭し、日本代表を押し上げていかなければ、輝かしい未来は開けてこない。攻撃陣唯一の初招集となった背番号7にはそれだけのポテンシャルがある。我々の度肝を抜くようなプレーで代表定着を手にしてほしいものである。 <hr>【文・元川悦子】<br/><div id="cws_ad">長野県松本市生まれ。千葉大学卒業後、夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターとなる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォローし、日本代表は特に精力的な取材を行い、アウェイでもほぼ毎試合足を運んでいる。積極的な選手とのコミュニケーションを活かして、選手の生の声を伝える。</div> 2023.03.26 21:35 Sun
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主力としてオランダ1部優勝争い。満を持して代表右SB一番手を取りに行く菅原由勢【新しい景色へ導く期待の選手/vol.6】

第2次森保ジャパンの初陣となる24・28日のウルグアイ・コロンビア2連戦(東京・大阪)。3年後の2026年北中米W杯に向けた強化がいよいよスタートする。 そのメンバー26人が発表されたが、30代はシュミット・ダニエル(シント=トロイデン)、遠藤航(シュツットガルト)、伊東純也(スタッド・ランス)の3人だけ。大幅な若返りが図られた印象だ。 右サイドバック(SB)はその筆頭ではないか。2014年ブラジル・2018年ロシア・2022年カタールと3度のW杯に参戦した32歳の酒井宏樹(浦和レッズ)と29歳の山根視来(川崎フロンターレ)が揃って外れ、20代前半の3人が名を連ねることになったからだ。 最年長は23歳の橋岡大樹(シント=トロイデン)だが、彼も2019年E-1選手権(釜山)で2試合に出場しただけ。22歳の菅原由勢(AZ)にしても、欧州組だけで挑んだ2020年10月のカメルーン戦(ユトレヒト)で終盤にピッチに立ったのみである。半田陸(ガンバ大阪)に至ってはパリ五輪世代でA代表実績は皆無。3人のバトルは見ものだ。 こうした中、森保監督が最も注目していると見られるのが菅原だろう。実際、2月の欧州視察時には、アルクマールまで直々に出向いている。現地を訪れたのは、2月10日のエクセルシオール戦。翌11日にはフライブルク対シュツットガルト戦を見に行っているから、凄まじい強行日程だったのは間違いない。そこまでリスクを冒しても、菅原のパフォーマンスをその目で確認したかったということになる。やはり期待値は非常に高いのだ。 「由勢のチームの中での立ち位置が明らかに変わっているなと感じました。以前はレギュラーを取るために戦っていましたが、今はチームの中心選手として周囲から信頼されている。しかも、AZはオランダという素晴らしいリーグで優勝争いをしている。欧州5大リーグに近いレベルの国でトップを争うチームで戦っているのはすごく評価できるところ。簡単なことではない」と森保監督も語っており、成長した姿を代表で見せつけてほしいと願っているのだ。 もともと菅原は10代の頃から「内田篤人(JFAロールモデルコーチ)の後継者」と目され、2017年U-17W杯(インド)・2019年U-20W杯(ポーランド)を経験してきたエリートだ。メディアの質問にも自分の言葉で理路整然と答えられる賢さとコミュニケーション力を備えており、19歳で赴いたオランダでもすぐさま適応できる社交性も持ち合わせていた。東京五輪は2000年生まれで一番下の学年ということもあって惜しくも選外となったものの、本人は挫折を糧に成長を続け、着実にスケールアップしている。 この4シーズンでほぼコンスタントに国内リーグ戦に出続けているうえ、2019-20シーズンはヨーロッパリーグ、2021-22・2022-23シーズンにはヨーロッパ・カンファレンスリーグに参戦しているという欧州舞台の経験値も魅力。それは他の右SB陣が持ち合わせていないものだ。 こうした実績もあり、カタールW杯直前に中山雄太(ハダースフィールド・タウン)が負傷離脱した際にも「左右SBのできる菅原を追加招集すべき」という声が挙がったほどだ。結果的には町野修斗(湘南ベルマーレ)が選ばれ、本人は東京五輪に続く落選を味わったわけだが、負けず嫌いの男は「ここから巻き返してやる」と誓ったに違いない。 今回は同じ2000年生まれの谷晃生(ガンバ大阪)、瀬古歩夢(グラスホッパー)、中村敬斗(LASKリンツ)も名を連ねている。それも本人にとって心強い点だろう。彼らに久保建英(レアル・ソシエダ)を加えた2000・2001年生まれの5人はU-12世代からともに代表活動をしてきた仲間。森山佳郎監督の下でインドネシアやインド、ウズベキスタンなどアジアの環境の悪い国々に転戦し、タフさを養ってきた。そういった経験値がある分、メンタル的に強い人間が揃っている。 ドイツ5部からブンデスリーガ1部に這い上がった上月壮一郎(シャルケ)もその一員ではあるが、日本人の若者としては少し異質な人材が出てくるのも不思議ではないのだ。年齢や国籍に関係なくバチバチできるメンタリティをぜひとも新生・森保ジャパンに還元してほしいもの。すでにA代表歴のある菅原はその筆頭にならなければいけない。 さらに言うと、名古屋ユースの大先輩・吉田麻也(シャルケ)が外れた今、偉大な先陣から託されたものを受け継ぎ、ピッチで示すことも彼に託される重要タスク。菅原はそういうことを考えて行動に移せる人間である。だからこそ、こちらも大いに期待したくなる。 A代表から離れていた約2年半で、彼がどのような変貌を遂げたのかをしっかりとチェックすることが、初陣2連戦の大きなテーマ。「内田二世」と評されてきた男が見る者の度肝を抜くような仕事をやってのけることを今から楽しみに待ちたい。 <hr>【文・元川悦子】<br/><div id="cws_ad">長野県松本市生まれ。千葉大学卒業後、夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターとなる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォローし、日本代表は特に精力的な取材を行い、アウェイでもほぼ毎試合足を運んでいる。積極的な選手とのコミュニケーションを活かして、選手の生の声を伝える。</div> 2023.03.16 18:30 Thu
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